- 2010-10-17 (日) 14:46
- Posted by Mari Ota
「四式」まで、あと少しになってきました。
相変わらずギリギリで焦っています。
早くから準備しておけばいいのに。。。
「四式」はO JUNさんの企画で、週替わりで4人の作家が一人ずつ展示やパフォーマンスをします。
http://www.artinparks.net/trolls/event.html#n04
私は11月2日〜7日の毎夕19時〜、遊工房アートスペースで行います。
ぜひお越し下さいませ。
アクセスはこちら↓
http://www.youkobo.co.jp/access/
太田麻里、大田黒衣美、井内宏美、佐藤万絵子
がそれぞれの世界をそれぞれの「式」にのせて繰り広げる4週間。
例えば図式、例えば形式、例えば儀式?
企画:O JUN
最近“パフォーマンス”という言葉がとても胡散臭い。だから出来る限り使わないようにしている。しかしそのような自分の狭量で言葉を胸底に沈めることは窮屈だし寂しいことでもある。言葉に罪はない。罪は、手前の都合のいいように使い減らした僕らにある。それでも褪せた言葉の面影を一瞬深く濃く、際だたせる人と振る舞いがある。それを何と呼ぼうか? 言葉を徒に摩滅させた僕らの罰として、この展覧会を1つの練習問題として考えてみたい。その試みに「式」の一字を使ってみる。「何々式」とかいうそれだ。どこか、使い手の覚悟を感じて潔い。辞書を引くと、「一定の体裁または形状。作法、規定、式目」、とある。一体この4人は何をそれぞれの則とし、その身に気息を通わせ、型をつくり、なのにそこを溢れ出ようとするのか? そしてこの人とこの振る舞いは何か? 4週間に渡る4つの“式次第”を見届けて、一緒にこの練習問題を解いていただけたら幸いです。
■太田麻里の「式」。7日間、毎夕刻、ある動作を繰り返すという。「繰り返し」、あるいは「反復」はこれまでの太田麻里のパフォーマンスに顕著に見られる動勢だ。しかもその身体は時に激しい動きを伴いまるで暴風のように荒れ狂うのだ。にも関わらず反復される行為は他愛ないことばかりだ。延々とシャンプーをし続けたり、高みからベッドにダイブを繰り返したり、月桂樹の苗木を伐りまくったり…。太田麻里は、その他愛ない暴風のような反復を「日課」だと言う。僕らの日課には普通不測の事態も異常も起こらない。なぜならそれは“日課”だからだ。だが、彼女の日課には普通起こり得ない事のほとんど全てがある。それはまるで夢の過酷に似ている。日々夕刻繰り返される彼女の日課、しかしその軌道に僅かに狂いが生じ始める。太田麻里が、「日課」から、解かれる日が訪れる。
2010年7月 O JUN
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